憲法(1):自分で考えること 国立市議会議員 板谷のり子
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2004 年 1 月 23 日     カテゴリ:活動報告
憲法(1):自分で考えること
〜<シリーズ>板谷のり子が思う日本国憲法〜
 私が、中学2年生のことでした。担任の先生が、こんな話をしました。
「道を歩いているときに急に鼻をかみたくなったとしよう。ちり紙で、鼻をかむ。鼻をかんだ後のちり紙をどうするかなあ?」突然何の話だろうと、みんなが面食らっていると、「ゴミ箱にすてたら?」と誰かが声をあげました。先生は「ないんだよね。ふつうの道路なんだよ」と言う。そこから意見があれこれ出ました。「ゴミ箱がなくても捨てていく」「うちまで持って帰る」「ゴミ箱のあるところを探す」などなど・・・。先生は、「じゃあ、道に捨てたちり紙は誰が、片付けるの?」と尋ねました。一人が「誰かが掃除するでしょ」と発言。「誰もしなかったら?」「誰かがきっとするよ」「誰もいなかったら、どうなる?」・・・こんなやり取りの最後に、先生は「誰かがやってくれるから、とか、自分ひとりが、まじめにやったからと言って何も変わらないと思っているなら、きっと何も変わらないだろう」と言いました。
 道徳授業でのことだったのか、ふつうのHRだったのかは、覚えていませんが、先生がみんなに考えさせるよう仕向けたことは印象的でした。
いまの私の原点は、たぶんここにあるのだと思います。
自分ひとりが、選挙にいったところで何も変わりっこない、と思っている人たちがいます。しかし、本当にそうでしょうか。みんなで「何とかしなければ!」と思えば「きっと変わる!」と私は信じているのです。
 いまの教育は、残念ながらしばらく前の「ゆとり」がなくなってきました。「問」と「答」を同時に与えて、「さあ、覚えろ」といった印象があります。「あなたは、どう考えるか?」と聞かれて「さあ?」と首をかしげる子どもが増えてきたように思うのは、私だけでしょうか。
 2000年春の卒業式の日、国立二小の子どもたちが、校長先生に「なぜ、日の丸を掲げたのか」と質問したことに対して「子ども自身が、考えるわけがない。大人が扇動したのだ」と言った人々がいましたが、疑問に思うことを言葉にした子どもの存在が信じられないというのでしょうか。100歩譲って、誰かが教えたにせよ、自分で疑問だと思わなければ、質問するはずもないのです。
 学力低下が叫ばれる昨今、私は、知識より自分で考える能力を育てることが重要だと思っています。教育者は、そのことに力を注ぐべきであると考えている一方で、為政者は、「自分で考える国民がいては不都合」だと考えているのではないかと思いたくなるのです。
 皆さんは、憲法について考えたことがありますか。
世界に誇る日本国憲法第9条は、いま守られていると言い切れるのでしょうか。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と言いつつ、武器を携帯して他国へ赴くことは、「違憲」ではないと言い切れるでしょうか。
私は、大人はもちろんのこと、子どもたちも身近なこととして今、考えてみることが必要だと思うのです。



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